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駒と50年

 投稿者:ばた  投稿日:2016年10月 5日(水)13時55分12秒
返信・引用
  お久しぶりです。
ばたです。

ケンショウ様
以前、取り置きを希望した、棋具や駒の本ですが、まだ在庫有りますか?
半年以上も何の連絡もせず、図々しい話で、恐縮至極です。

9日に一時帰国し一週間ほど国内におります。
もし、在庫があり、且つ、譲っても良い、と考えていただけるなら、是非購入したいのです。
振込先を教えて頂けましたら、11日に振り込みます。
もし製作本が何種類かある場合、各種譲って頂きたいです。

諸々を
katoow01@yahoo.co.jp
お返事待っております。

では
 
 

「駒と50年」の書籍について

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2016年 8月29日(月)11時46分53秒
返信・引用
  駒と50年」の書籍について
 私の手元用に残していますものが3冊あります。私の棋友及び知人等にしか譲っていません。一度見て頂いて、必要なら購入いて下さい。不要の時は着払いで返納いて下さい。ご返事お待ちしています。

なお、2012年12月24日にご投稿の「村川作・逸品の彫駒」と2012年12月28日にご投稿の「雅峰作の彫駒の一逸」は、一 般に公開は出来ません。理由は公開すると誰れもがコピーっして駒作りをされるからです。



 

ご教示ください

 投稿者:銘駒蒐集  投稿日:2016年 7月11日(月)12時34分47秒
返信・引用
  けん坊様

以下、ご回答いただければ幸いです。

・「駒と50年」
 在庫はございますでしょうか。購入させていただければと考えております。

・書体
 下記銘駒の書体をご教示ください。
 2012年12月24日にご投稿の「村川作・逸品の彫駒」
 2012年12月28日にご投稿の「雅峰作の彫駒の一逸」
 

竜司作と藤内金吾氏の直筆揮毫盤

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2016年 6月 6日(月)11時16分31秒
返信・引用
  これから逐次、将棋棋具の希少品・珍品・貴重品等について紹介致します。
先ず、今回は、大阪駒師の名工・竜司作・宝玉書・彫駒と藤内金吾氏のお古希のお祝いに直筆揮毫盤を紹介致しました。

1、竜司作・宝玉書・彫駒は、大型の勢いを感じる鋭い彫の駒です。参考として、大正時代の金竜作の駒は、いつの間か金竜書に変えられています。また、竜司作の駒が竜司に置き換えられています。なお、駒権名の駒を八代目駒権作と勘違いされている方を、時々見かけますが別人です。
 竜司作の駒は、現状ではこれ1組しか見かけていません。
 もし、竜司作の駒を所蔵された方があれば、是非、投稿を節に希望致します。

2、2寸盤に藤内金吾氏の直筆揮毫盤です。盤自体は価値はありませんが藤内金吾氏の直筆揮毫盤として貴重だと思っています。

 以上、盤・駒は藤内金吾氏の弟子または縁近の方が所蔵されていたと聞いています。
 

(無題)

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2016年 5月 2日(月)09時50分30秒
返信・引用
  「囲碁・将棋遊戯具―お宝品の鑑賞と解説」について

実は、私の蒐集品を整理しながら記録帳を作って、その名から「お宝品」の書籍作りに日時をかけていたため、しばらくご無沙していました。やっと完成致しましたので紹介します。

囲碁・将棋遊戯具
お宝品の鑑賞と解説―――A4版・330ページ

書籍の内容を簡潔に説明致します。

囲碁の部、
江戸期を重点に、私蔵の中で一番の、国宝級・江戸期・尾張徳川家・黒塗り葵紋散枝蒔絵碁盤と碁笥・碁石壱組を初めとして~江戸期・松平頼胤公「御賜・玉碁子」一組。~江戸期・九世・井上因碩直筆揮毫碁盤。~江戸期・井田道拓花押印・本因坊算砂の直筆掛軸~名盤等。

将棋の部
江戸期を重点に、中将棋の安清花押と俊光花押の書き駒2点。~象牙駒は、江戸期の公卿の作品と安清花押の彫駒・義勝花押の書き駒の3点。~他に水無瀬駒・伊達家の盤・駒。~それ以外に、昭和期に貴重品を取り上げました。坂田三吉の盤・駒と書画・掛軸・免許書。~大山九段が名人に就任記念に、大阪の大山後援会に世話になったお礼返しに、盤・駒の贈呈品。~升田揮毫の盤・駒と色紙。~豊島龍山作品、特注品で一品しかない作品、3点。~奥野一香作品、特注品で一品しかない作品、4点。~木村文俊作品、特注品で一品しかない作品、3点等を取り上げました。

将棋愛好家の皆さんも「お宝品」を選定して目録集を作成して楽しんで下さい。面白くてやりがいありますよ。一度チャレンジして下さい。

 

初心者の駒マニア

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2016年 1月30日(土)07時28分31秒
返信・引用
  ばた様

 連絡遅れ申し訳ありません。必ず取り置き致します。では、よろしくお願い致します。


 今回は、初心者の駒マニアについて所感を述べます

1、昭和50年頃~現在迄のアマ~セミプロ等の作品を蒐集。

2、現在の作品で、いつでも購入できる作品を蒐集。

3、盛上駒は、作者より木地優先の鑑賞用駒を蒐集。

4、駒の価値、最近の作品を銘駒と評価している。

5、駒の本質についての勉強不足。(価値がある作品を見抜くためには、色々な知恵や助言を吸収することです)。
6、現代の駒を主体して蒐集しながら趣味として楽しんいる方。

 アドバイスとして、最近の駒を投機目的に蒐集しているなら考え直して下さい。何故ならば、将来、わけあって駒を処分する場合、購入時の半額程度しか価値が無いからです。それだけ駒は価値が無い のです。参考になる駒の価値評価は、「玩具品」の蒐集と同様に考えて下さい。
 以上。初心者の駒マニアです。以後、駒の求めている目的をしっかり認識して蒐集して下さい。



「参考」

最近の作品の傾向について

1、駒の書体には、版権がなく誰でもが自由に採用されています。また、いろんな創作書体の駒が作られ、駒の書体も大きく変化しています。「水無瀬書」を「古水無瀬書」に名称を変更、奥野作の錦旗書のコピーして「奥野錦旗書」等、いまは、何でも有り気の無礼講が許される時代です。例えば、水無瀬駒の書体もいろんな方によって、創作され、一体どれが正しい書体か判別で出来なくなっています。

2、駒銘にも、江戸期の花押印を真似て「○○花押」と、書いたりして付加価値を付けたような駒を見かけます。これは時代錯誤しているのではないでしょうか

3、駒木地は、杢・虎班等が大半を占めています。

4、彫駒より盛上駒を優先に作られています。理由は?

5、作品を見る限り、対局用よりも鑑賞用を重視した作品が多く制作されている感が致します。(技巧より材質を重視)

6、最近の盛上駒は、殆どが鑑賞用にされているので、駒の耐久性・漆の状態の変化等解明出来ていません。昔の、龍山作・奥野作・木村作・竹風作・静山作・影水作等の駒は、幾多の対局に使用された実籍がありこまの良否が証明されています。


 

Re 無題

 投稿者:ばた  投稿日:2016年 1月20日(水)02時08分25秒
返信・引用
  ケンショウ様

ばたです。
今からでも予約可能なら、是非譲って下さい。2冊まとめてお支払いします。
現状、いつとはお約束できないのですが、必ず購入します。取り急ぎ
 

(無題)

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2016年 1月16日(土)21時55分8秒
返信・引用
  ばた様

 連絡遅れ申し訳ありません。連絡方法は、私の携帯ー090-9053-3760に連絡してください。

 なお、前回、投稿の「将棋盤と駒・名撰集成」について、皆さんから要望があって現在、10部作成中です。原本はA4版でしたが、経費削減して、B5版にいたしました。この書籍も必要でしたら確保致します。

 いずれにしても、書籍を見たうえで、良ければ購入して下さい。不要の時は遠慮なく返品して下さい。

 では、よろしくお願い致します。
 

御礼

 投稿者:ばた  投稿日:2016年 1月14日(木)03時15分19秒
返信・引用
  ケンショウ様
早速のご返事に加え、当方には嬉しい回答、ありがとうございます。
代金の振込み先等、どの様にやり取りすればよろしいのでしょうか?
お時間のある時で結構ですので、ご教授下さい。
では
 

「東京駒師・名工たちの作品集」

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2016年 1月13日(水)17時12分59秒
返信・引用
  ばた様

 書籍「東京駒師・名工たちの作品集」を小型本(A5版・148㎜×210のお申込み有難う御座いました。今回、書籍について、投稿後、駒愛好家の皆さんより多数購入の申し込頂き喜んでいます。さらに、時間を割いて、5番~15番の限定本を作成致します。なお、はた様には限定5番本を確保いて置きます。帰国されて時に再度連絡下下さい。よろしくお願い致します。




 

小冊子の件

 投稿者:ばた  投稿日:2016年 1月13日(水)02時45分30秒
返信・引用
  ケンショウ様
将棋の棋具全般を愛好している「ばた」と言います。
棋具の歴史、製作方法、作者との交流、蒐集、自作と棋具に関してはジャンルを問わず愛好しております。
今回の製作された本の在庫があれば、譲って頂けないでしょうか?
もちろん、代金もお支払いするのですが、当方海外在住で日本への振り込みは出来ません。ですので、私を含め近親者が帰国する際まで待って頂くか、お急ぎでしたら知人に頼むのですが、その場合でも申し訳無いのですが、時間の猶予を頂きたく思っております。
ケンショウ様には、はなはだご迷惑なお願いですので、判断はお任せします。
不躾な内容でスイマセン。では
 

「東京駒師・名工たちの作品集」

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2016年 1月 9日(土)20時14分29秒
返信・引用
  「東京駒師・名工たちの作品集」2冊

 正月少し時間的に余裕がありましたので、昨年2月に制作した「東京駒師・名工たちの作品集」を小型本(A5版・148㎜×210㎜)にして、3冊作成致しました。

 今回、三冊のうち二冊を名駒集覧を見て頂いている方にお譲りすることに致しました。

 価額は、5,000円(実費のみの)です。実費とは、用紙代・インキ代・表装代だけです。

 私の目的は、駒蒐集家の皆さんに紹介して参考にして頂きたい思いです。ただし、何分、素人が原稿~写真~印刷~装丁まで、一切手作りですので不備等があろうかとおもいますが、ご理解よろしくお願いいたします。ご希望者は投稿してお知らせ下さい。

作品集の内容は下記の通りです。
1、50枚の100ページ。
2、写真68ページ。
3、作品は、豊島龍山作品・26点。奥野一香作品・6点。木村文俊作品・16点。金井静山作品・2点。初代竹風作品・8点。宮松影水作品・11点。

 作品集の特徴は、内容は変わりませんが、装丁に駆使して一冊一冊違ったものに仕上げています。



 

(無題)

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2016年 1月 7日(木)10時03分46秒
返信・引用
  M様

 私の書籍「駒と五十年」を購入頂きありがとうございました。

 さて、今回、香月様は「重男」が正だしいことをご指摘いただき心から感謝しています。

 これからは、貴男様のご指摘いただいたことを肝に命じて、過ちを犯さないように致します。

 誠に有難う御座いました。今後とも駒マニアとしてご指導よろしくお願い致します。

 今後、将棋棋具に関する情報ありましたら、ご投稿を楽しみにしています。


 

香月様について

 投稿者:M  投稿日:2016年 1月 5日(火)22時52分28秒
返信・引用
  ケンショウ様。
その節は「駒と五十年」をお売り頂きましてありがとうございました。
一点のみ気になりましたので書き込みさせて頂きます。
「駒と五十年」も「重夫」表記となっておりましたが
香月様は「重男」が正解でございます。
「重夫」様は別人で天竜様のお師匠様です。
天竜様の自伝に記載されておりますが
重夫様と天竜様は共に重男様の香月堂で働いていました。
天竜様に確認したところ、国井性は皆親戚とのことでした。
天童市将棋資料館様発行のパンフレットが
「重夫」=香月と誤情報を発信したことが原因では?と予想しています。
北田様の「駒のささやき」、鶴木様の「粋鏡なる試み」なども
「重夫」と誤った表記になってしまっています。
古い雑誌、例えば枻将棋讃歌1980年3月号の
天童特集ではちゃんと「重男」表記となっています。
日本将棋連盟様に問い合わせても
「重男」と正しく把握できておられるようでした。
市橋様の「こんなにあるのか将棋駒の書体と駒の作者」は
きちんと「重男」と表記されてあります。
ケンショウ様の為になる棋具のお話、
今後も楽しみにしております。
 

初級駒マニアについて

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2016年 1月 5日(火)11時27分39秒
返信・引用
  初春のお慶びを申し上げます。
 新春を迎え皆々様のご健康とご多幸をお祈り申しあげます。
 本年もよろしくお願い致します。


さて今回は、初級駒マニアについて所感を述べます。

 昭和40年代頃までは、「東京製駒」が銘駒として人気があった。プロ棋士の対局はすべて「東京製駒」が使用されていた。
 やがて時代の経過に伴い、東京駒師達が高齢化して「東京製駒」は次第に衰退してしまった。
この時期から、大衆駒作りが主流だった「天童駒」が本格的に高級駒作りを始まった。
 先ず、駒の命である「書体」の研究、更に、若手の伝統工芸師達が奮起して、盛上駒の技術の修得に日夜努力と研鑚を積み重ねた。その結果、昭和55年、第29期王将戦で、初めて天童駒師・伊藤久徳が使用されました。
 以来、プロ棋士の対局に多く使用されるようになりました。
 現在は、名実ともに高級駒の生産地となりました。

 主な高級駒を制作駒師は、下記の通りです。

1、 国井重夫(昭和63年没・71歳)日本将棋連盟とりただ一人「名匠」の称号が贈られた。

2、 伊藤孝蔵(平成9年没・80歳)東京の奥野一香の息子から駒の書体の字母紙・版木を入手して高級駒を完成させた。昭和55年に,労働大臣賞・勲六等瑞宝章を受ける。

3、 水戸常丸(大正11年生・故人)銘駒工人会員。職人気質、天童駒師で彫の名人。

4、 村川邦次郎、天童駒師で彫の名人。盛上駒でも銘品を残しています。

5、 桜井和男、駒の歴史・書体の研究家。盛上駒を主に銘品を残しています。

6、 児玉悌二、完成された盛上駒を主に銘品を多数残しています。晩年は、金井静山の弟子。江戸期の水無瀬駒等、名品の資料館を設置されている。現在、盛上駒作りの一人者である。

7、 その他、天竜(国井孝)・天一(佐藤松喜)・淡月・光匠・一舟等が挙げられます。

 以上。天童駒を主に蒐集されている駒マニアを初級駒マニアです。
 次回は、初心者の駒マニアについて、所感を述べます。
 

中級クラス

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年12月24日(木)14時37分51秒
返信・引用
  今回は、戦後の作品を中心にしている中級駒マニアについて所感を述べます。

戦後の作品は、豊島・奥野両氏の死後、弟子達が継承して東京駒が中心に制作されました。
主な駒師は、豊島弟子だった木村文俊・金井静山と豊島の流れを汲む宮松影水と奥野の流れを汲む先代・大竹竹風なのです。


1、駒師・木村文俊

 昭和昭和20年~30年前半は、最盛期で木村の駒は、同時代の駒師の追随を許さないほど一躍人気だった。特に、木村名人書・玉舟書・水無瀬書は、個性的な作品は優れています。
しかし、昭和40年以降の作品は、高令のため技術の低下が目立って名品が有りません。したがって、木村文俊の作品を蒐集のポイントは、戦前ものを探求することです。

2、駒師・金井静山

 豊島龍山死後、豊島公房の後を引き継ぎ、豊島作の銘で駒作りを再出発させた。それ以外に、豊島公房の職人が作っていた豊島作もある。いずれにしても、当時の工芸品とした希少価値があります。
ただし、金井静山氏は、彫の技術は上手でなかった。そのため、盛上駒を専門にした作品か殆んどです。その作品は やさしく気品のある字で、人柄そのものの実直で丁寧な作品だが、個性な迫力に欠けています。
 したがって、金井静山氏の作品を蒐集するポイントは、龍山静山作のものを探求することです。

3、先代・大竹竹風

 初代竹風・大竹治五郎氏は、家業の黄楊櫛屋の手伝いで奥野一香商店へ黄楊木地を納品していた。そのうち奥野の職人・松尾の指導を受け、めきめき腕を磨いた。やがて、東京駒の駒師として活躍されました。
 先代・大竹竹風の作品は、全般的に駒数が少なくて希少価値であります。
 なお、昭和20年頃、大阪で「一虎作」で販売されていました。「一虎作」の作品は少なくて希少価値であります。 また、豆駒の作品も残っています。
 したがって、先代・大竹竹風氏の作品を蒐集するポイントは、希少性がある割に、現在、価額的に安いので見つけたら購入されたら得策ではないかと思います。

4、駒師・宮松影水

 父・関三郎棋士と駒作りを手伝い、父・関三郎が心臓マヒで急死あと。まだ若い幹太郎の肩に、母親と幼い兄弟を養う重責で幹太郎は本格的に家業の駒作りに取り組むこととなった。その後、根津の盤駒店で、注文を受け駒作りを営んでいました。
 宮松幹太郎は、駒作りを始めて頃は「金龍書」の彫駒を専門に作ったが、専門棋士からは技術が未熟と言われ注文は殆どなかったのです。この悔しさをバネにして、どうすれば技術の向上を図れるほか、そして魅力ある駒を作れるのか、日夜研究に研究を重ねられた。
 その結果、駒の命である書体、また、駒形では大振り変えうえ奥野式の面取り等加え迫力を持たせました。盛上駒作りに研究と情熱によってやっと完成した宮松・影水駒は、たちまち駒愛好家達から人気を得て注文が殺到いたしました。しかしながら、体をこわし43歳という若さで亡くなられた駒師です 以後、宮松・影水作の駒は、マニアにとって睡涎の的であります。なお、宮松影水氏は、彫は決して上手くありません。また、注文が殺到した時期は、静山氏が手伝っていた作品や、天童の香月氏に一部を依頼いた作品があるようです。 宮松氏が得意にしていた、水無瀬書、錦旗書、菱湖書の中の作品を観察すると、その作品に違いが見受けられます。
 また、宮松氏やそれ以外の駒師に、天才駒師とか巨匠駒師とか、駒マニアが呼んでいますが、この言葉は、駒愛好家だけに通用していますが、一般的な古美術・美術品としては認められていません。
 その理由は、駒作りの世界は、大正~昭和期にかけて、豊島龍山氏が考案により、江戸期の書き駒の書体を版木化にして、字母紙を作成されているからです。写しとった書体の字母紙を駒木地に貼り付け、その書体を印刀で彫って、漆を埋めて、漆を写し書きの工程で完成させています。
 したがって、駒作りは「模写の世界」だからです。個性を生かした芸術品でありません。いつまでたっても駒は玩具の世界なのです。
 宮松氏が死ぬ前に「本当の駒を作れなかった」と言葉を残されています。私はこの言葉の意味は、本物の駒、模写でなく自分自身の書体の書き駒を完成させたかったように推測しています。
 駒師・宮松影水の作品を蒐集するポイントは、水無瀬書、錦旗書、菱湖書の面取されている作品を探求することです。
 結論として、東京製の駒を蒐集されている駒マニアを中級クラスと考えています。

 次回は、天童駒を蒐集されている初級マニアとアマ、セミプロ、セミプロ~プロ作品を蒐集されている初心者について所感を述べます。
 

上級(一流)駒マニアとは

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年12月 9日(水)19時16分12秒
返信・引用
   私は将棋遊戯具の蒐集歴約50年。その経験を生かして、効率的な蒐集方法について所感を述べます。

1、駒の原点は、江戸期の作品です。当時は、公卿・武士等の遊び道具でした。使用さた駒は、公卿達の能書 家が、自筆で書体を駒木地に書いたものです。
 盤は、殆どが蒔絵師が施した蒔絵盤です。これらは、美を表現する技術を備えている美的価値と、将棋界の 貴重な資料的な価値があります。すべて日本の美術品ととり扱われています。
 主な作品は、駒のルーツと言われます、水無瀬兼成筆、水無瀬兼俊筆、後水尾天皇真筆、清安筆、安清筆、 俊光筆、義勝筆等が現存しています。
 すべて、現在のものにない日本伝統の手仕事の繊細な美しさと、何かしら底知れぬ魅力があります。
 その魅力に惹かれ探求を続けていますが、なかなか見つけられないのが現実です。
 皆さん、江戸期の作品が好きな方は、発見した時は、高額であっても、借金してでも即購入が得策です。

2、明治~大正期の作品です。
 江戸後期頃から将棋の遊びが、公卿から庶民へと普及が始まります。駒作りも書き駒に変わり工夫いた彫  駒・彫埋駒・盛上駒が作られるようになりました。
 主な作品は、金龍造。真龍造、大橋宗桂造、牛屋春甫作,竹内棋洲作、豊島造等が名品です。

3、近代駒師の先駆者の豊島・奥野両氏の作品です。
 豊島・奥野両氏は数多くの銘駒を作りその作品は、今でも駒マニアの睡涎の的になっています。
 なかだも、記念駒、特注駒等は希少価値が高い。
 なお、奥野氏の作品は、盛上駒より彫駒の方が魅力的です。その理由は、個性的な彫は他者とり技巧が優れ ているからです。

4、戦前の木村文俊・金井静山の作品です。
 特に、当時の木村文俊は、豊島・奥野両氏同等の銘駒を残しています。また、金井静山の作品では、静山龍 山の駒銘のものです。

 以上、1~4迄の作品を蒐集されている方を、上級(一流)駒マニアです。

 次回は、戦後の作品を中心にしている中級駒マニアについて所感を述べます。

 

(無題)

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年11月 1日(日)07時30分30秒
返信・引用
  「囲碁・将棋遊戯具」の名撰集成

 今回、囲碁・将棋の仲間や知人等から、私の所蔵品の目録集を作成いてほしい強い要望があって、約2か月かけて完成致しました

 本書の内容は、江戸期の作品を重点に、価値を兼ねた「盤・駒の原点・本質」を主体にまた、昭和期は、特注品、希少、珍品に限定した作品。また、現代の作品から特別に、平田雅峰の特注品を取り上げました。

 今回の特色は、上級マニア中心に写真集にまとめました。なお、現在の作品を蒐集されているマニアには参考になりません。

 現在、3冊作った書を順次、仲間や知人等に回覧しています。この書を参考に、皆さんが将棋遊戯具の時代背景を良理解して、良き将棋遊戯具の探求をめざして下さい。


 

将棋駒の本質と実態について

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年 9月13日(日)09時29分5秒
返信・引用
  9、駒の価額と駒の改革案について

(1)最近の駒の価額が、古い時代の工芸的な作品と比べ、高価になっているように感じます。

駒の木地は、良いもので、5~10万円程度、工賃は日本の平均所得を勘案すると、盛上駒に制作日数等から換算した、工賃は約10万~15万円程度でしょうか。一般的に考えて、30万円くらいが、私の想定した価額です。ただし、価額については、駒の好みよって個人差があるので大変難しいですが。いずれにしても、駒は、一定の標準額が決められていない特別な世界だからです。とにかく、駒は高すぎるように思っています。

私は、絵画が好きで気に入った作品を見つけたときは買っています。
絵画の価額は、ある程度の作者の評価がランク付がされていて、作者によって参考価額か示されています。
また、作品の大きさについても、大体の価値が示されているので安心して購入できます。美術界は評価貴基準が確立しています。ただし、古美術世界は、偽作が多いので注意が必要です。
絵画は、買った時から年々価値が向上していくので将来が楽しみです。

(2)駒の作品について、駒作りの会等で討論会や座談会の議事録を見ると、大半の方が、龍山・奥野とか、木村・静山・宮松等の作品が良いとか悪いとか議論されています。もう少し深く踏み込んで、戦前の龍山・奥野の駒作りと、戦後の駒作りとの時代背景を取り入れて議論をしてもらいたい思がしています。
もう一つ大きな問題点は、駒のルーツと言われている、江戸期の名品のことに一切触れずに、作品が良いとか悪いとかを議論するのは、片手落ちの感が致します。
駒を論じるには、まず、駒のルーツである江戸期の作品を観察して知識を学んだで、駒の良否について議論すべきだと思っています。



(3)私が望んでいる駒作り改革案を次のように説明致します。

●駒木地の整形は、昔の、水無瀬形・清安形・安清形・俊光形等を参考にした、大振り肉厚にして、さらに、駒の勾配を考量し作る。
駒整形は、時間をかけてすべて手造りで仕上げること。

●駒の種類は、今の「盛上駒」を「書き駒」に変更すること。昔の書き駒を見ると、自筆で書いているので個性があって芸術的な作品です。その駒は幾多の対局に耐え、漆の飛びも無く摩耗によって書が消えている状態ですが、良好に維持されています。
したがって、盛上駒でなくとも書き駒で十分だと考えています。盛上駒は、写した書体の上をなぞって書くので、個性がなくて迫力も感じられません。
そのため、書き駒にすることによって、個性を生かした芸術的な駒を作れるのではないかと期待しています。ただし、盛上駒以上に、書き駒を作くのは至難の技巧が要求されます。

まとめとして、彫る、埋める等の手間暇掛けていた日数を、駒整形に集中して手造りの技巧を施こして作り上げること。また、漆書きは自分自身の筆法で、手本を見ながら書きあげること。
そうした駒作りすることによって、駒師の技巧が発揮出来のではないかと思っています。絵描きのように趣味としての駒作りを目指し。利益ことを忘れて、個性を生かした芸術作品を目指して下さい。

なお、参考ですが、私の仕法を取り入れた駒は、駒師・児玉龍児氏が、水無瀬兼成・水無瀬兼俊・二組を完全復刻されています。確かその駒は、盛上駒だったように思いましたが。駒愛好家の皆さん一度鑑賞さてたら如何でしょうか。(児玉龍児展示会)

私の独創的な発想、如何でしょうか。皆さん、ご意見・アドバイス等お待ちしています。
写真に所蔵の書き駒の一部を紹介いてしました。今の駒と見比べて下さい。

次回は、駒のコレクターについて所感を述べます。



 

将棋駒の本質と実態について

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年 9月 5日(土)17時28分5秒
返信・引用
  9、駒師と画家との比較について。

(1)駒師は、複写いた字母紙を駒木地に貼り付けて、その書体通りに彫り上げて完成させる。さらに、彫り上げた上に、漆で書きして盛上駒が完成させる。
要するに、駒作りは、複写した書体を用いて完成させるため、駒師の個性や発想力のないコピーの作品だからです。
 したがって、駒は昔から消耗品として位置付けられています。
駒は、玩具としての遊び道具なのです。将棋界では、この作業が駒作りの完璧な仕法なのですが、芸術作品としては認められていないのが実態です。
 なお、駒の価値は、一般的に価値は、買った時から右下がりになることを忘れないで下さい。
ただし、江戸期~明治期頃間の作品は、一般に古美術的世界として認めらいます。これらの駒は、買った時より逆に、年々右上がりに向上していくので将来が楽しみです。

(2)画家は、紙の布に絵具で個性を生かし想像力によって、ふくらませていく。信念を形にするのがアーチィストです。駒のように、木地の良否は関係致しません。また、写した画の作品はありません。絵画は、同じ作品は二つとしてありません。
 芸術界では、有名な画家の作品を写した画は偽物として認められません。
 絵画は、富有層の投資家達が名画なら、何百万・・・何千百万・・・と買われています。それなりに価値があるからです。これこそ、絵画は芸術品であります。

 次回は、駒の価値観と将来について所感を述べます。


 

将棋駒の本質と実態について

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年 9月 5日(土)17時18分6秒
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  8、最近の駒作りの傾向について

(1)最近は、アマチュア・セミプロ・プロ駒師の駒作りの技巧は大差が無くなった感が致します。
 その要因は、機械工具の開発による、木地の成型が簡素化になったこと。さらに、漆の合成化により、書体が書きやすくて、乾燥期間が大幅に短縮も図られたことです。ようやく駒作りも完成期を迎えたような気が致します。

(2)駒の種類は、昔は、主に、彫駒が主体でしたが、現在は、盛上駒が多く作られるようになったと思われらます。
 その要因は、彫駒作りは、労力がかかる割に利益が得られないことで、効率の良い盛上駒が多く制作されているように感じられます。
 盛上駒は、彫から漆書へと技量がかかりますが、慣れてくると帰って楽に作れるし、利益も得られるからだと思います。

(3)駒の木地は、盛上駒は、普通の木地は殆ど見かけられなくて、杢・虎班・虎杢・孔雀杢等の良質な木地が大半をしめています。
 普通の木地での盛上駒は、需要が見込めないため殆ど作られていないのが現状です。
 その要因は、盛上駒は、使用するために作られていたものが、最近は、鑑賞用として買い求める駒愛好者が多く、良い木地のものしかしか買わなくなってしまったためです。
 作品の良否の判断基準も、技巧よりも木地優先にと駒蒐集家のニーズが変わって来たように感じています。

(4)駒の付加価値として、平箱に専門棋士のサイン入り、また、タイトル戦に使用された記念サインを付けて販売されています。これも営業的に考えて魅力あります。
 しかし、これに便乗して、駒作りの方のサインされた箱書が多々見受けられていますが。駒銘が入っているのに、さらに箱書にしているのは、如何なものでしょうか。知名度のある書家が、サインしたものなら魅力がありますが。

  以上が、私が気づいた、最近の駒作りの傾向です。
 

将棋駒の本質と実態について

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年 8月20日(木)11時00分52秒
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  (2)アマチュア駒作りの創作書体について

 結論、書体は駒の命です。したがって、取り扱いについては、慎重な対応が必要です。

 駒の書体の由来は、江戸時代から現在までに伝わっている駒の書体は、私が集めたところ約80種類ぐらいです。(アマ達の創作書体は除く)
 その中から、対局用の駒に適合するのは、水無瀬書・錦旗書・源兵衛清安書・清安書・金龍書・菱湖書です。その内で、水無瀬書・錦旗書は優れています。
 その他、いろいろな書体の駒が作られていています。プロの対局用の駒は、主に、由緒ある駒の書体が採用されています。一方、アマ間の対局用にはいろんな書体の駒を使って楽しまれています。

 さて、最近は、プロ・アマ問わず、いろんな創作書体の駒が作られ、駒の書体も大きく変化しています。作品を見る限り、対局用よりも鑑賞用を重視した作品が多く制作されている感が致しました。(書体よりも材質を重視か)

 アマの駒作り人々が、いろんな創作書体にチャレンジされ、私も知らない書体を見かけ大変ユニーク思いで見守っています。ただ、創作書体を自由に作るのは結溝ですが、ある程度のルールを守ってほしいと思っています。

 例えば、駒の書体で、江戸時代から伝えられている由緒ある「水無瀬」の書体を、創作して、「古水無瀬書」に名称変更した作品を見かけました。私は、今伝わっている水無瀬書よりも、古い時代の書体が発見されと内心思いましたが。

 私が「水無瀬書」と「古水無瀬書」を比較検討したところ、単に「水無瀬書」を部分的に創作しただけでガッカリ致しました。ここまでは、特段、問題意識はなかったのですが。

 ところが、「水無瀬書」を「古水無瀬書」に名称変更して、かつ・自分の創作書体として、駒を制作販売されていたことです。このやり方は、常識的には考えて、書体名を変更したことに問題点がありと受け取りました。もう少し慎重に取り扱って、名称変更せずに「水無瀬書」で製作された方が良かったのではないかと思っています。駒作りをされている皆さん、この件をどのように受け止められましたか。
 変更された水無瀬の書体を、水無瀬神宮の方が見たら、どのように感じられるでしょうかーーー。

 次は、奥野一香の「錦旗」のオリジナル書体を「奥野錦旗書」に名称変更した作品も見かけました。名称変更せず「錦旗」でいいのではないでしょうか。

 さらに、大阪の駒師・八代目駒権・赤松元一のオリジナル書体「蜀紅」「竜司」の書体を使って制作されています。赤松元一の生存中は、すべての駒作りの人は、遠慮して作らないようにルールを厳守して来ました。ところが、駒師が亡くなると、堰を切ったような勢いで、どんどん作品が販売されています。この件については、今後どのように対応すべきか、今後の駒作りに於いて検討が必要だと思っています。

 駒の書体には、版権がなく誰でもが自由に採用しても問題は生じませんが。しかし、何か違和感があります。

 以上、創作書体の取り扱いについて、私の独断偏見の思いを述べました。如何でしょうか。駒の書体の取り扱いについては課題山積しているとうに感じています。私は、早急に一定の判断基準設を設ける必要にあると思っています。
 多くの駒作りをされている方々のご意見お聞かせ下さい。よろしくお願いいたします。
 皆さんのご意見を頂戴いた後に、次回の「現状の盛上駒の傾向」について、所感を述べます。

 写真-1は、終戦直後に親父が、彫刻家に作らせた創作書体の象牙駒です。当時、ピアノ一台が買えた価額だったそうです。写真-2は天童・名駒師の作品。写真-3は東京・名駒師の作品です。




 

将棋駒の本質と実態について

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年 8月19日(水)11時37分26秒
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  7、駒作りの現状について

 私が、昭和40年代に「近代将棋」雑誌に記載された原稿一部と少し補足して、所感を述べますので参考にして頂ければ幸いだす。

(1)アマチュア駒作りの実態

 昭和50年頃、バブル経済の絶頂期、日本経済は好景気で国民生活も活気にあふれていました。その時期に、駒作りのブームもやってきて各地で趣味として「駒作りの会」が発足致しました。
 また、天童の碁盤店からは、誰でも駒作りが出来る「駒生地、印刀、字母紙等」一式が販売され各地から注文で殺到する人気でした。

 これがきかっけで、アマチュアの「駒作り」が本格的に始まりました。私も購入して駒作りに挑戦致しました。その結果、先般述べました通り、一人前になるのに約3~4年(彫~盛上駒)かかりました。
 彫駒は、今でも対局に使っています。盛上駒は、源兵衛清安書で、今ども大切に保管しています。(写真で恥ずかしながら紹介致しました)
 いずれにしても、駒作りは誰も独学で、年月をかければ簡単に作ることが出来ますので、興味ある方はチャレンジしては如何でしょうか。また、一方では、将棋を指さない人まで、駒に魅了され、鑑賞用に駒を蒐集する愛好家が激増致しました。

 さて、アマチュア駒作りについて、当初、高級駒が高価で買えない人達が集まって趣味として「駒作り」を始めたのです。ところが、数をこなしていくうちに、趣味だけで収まれず「自作の駒」を発売するようになりました。「駒作り」として誰もが途中で経験する大きな壁です。

 即ち、アマチュア駒作りとは、素人・愛好家という意味。つまり、趣味として駒を作って楽しむことが目的で、それによって生計を立てないことです。ところが、いつの間にか、アマチュアの駒が、生々堂々と碁盤店で売されるようになりました。その価額は、プロ作品より高額で唖然と致しました。何故、アマチュアの作品がプロ作品より高価なのかの、今ども不思議に感じています。

 当時は、バブル経済の絶頂期で、盤・駒等良く売れました。アマチュア駒作りの人は、自分は駒師だと自信過剰になり、どんどん作品を造り発売された。不自然な傾向が続ききました。

 一般的に言いますと「アマ駒作り」は駒師ではありません。
 本来、「駒師」とは、駒作りを」職業とする人。即ち、ある一定期間、苦しい修業を積んで技術を習得した人のことです。
 プロの世界は、常にお客様の立場にたって技術を提供し適切が価額を設定が基本条件です。

 駒の世界も今は戦国時代。何でもあり。ルールのなく無責任は点が多すぎるように感じています。その理由については、次回に詳しく所感を述べることに致します。

 最後に、私が尊敬した「アマチュア駒作り」のなかで、特に愛好者から親しまれた、木村香順(号・香順・故人)を紹介致します。
 木村香順(号・香順・故人)は、「アマチュア駒作り」の先駆者で、常に駒作りに情熱を燃やし、技術的にもプロ級だと愛好者から認められました。亡くなるまで「アマチュア精神」を貫いた人格者でした。

 作品には、将棋駒・駒台・駒箱が数十点以上があります。すべて非買品です。ただ、知人等からせがまれて譲られた物もあります。
 私も長年交友頂き、大阪へ来られた時はお会いして駒談義して楽しみました。会うたびに、研究の為に作品を希望致しましたが実現致しませんでした。

 なお、木村香順作(号・香順・故人)の第一作品は、昭和52年・第31期・棋聖戦使用されました。さらに、昭和59年・第42期・名人戦使用されています。


 

将棋駒の本質と実態について

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年 8月 5日(水)10時24分12秒
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  2、宮松幹太郎(号・宮松作・影水作)

 先代は父親、専門棋士・宮松関三郎で、豊島・龍山親子亡きあと遺族から残った駒木地を譲り受け、副業として駒作りを始められました。現在、残っている作品を見る限り名工の一人でしょう。

 二代目は息子の宮松幹太郎(昭和3年~昭和47年没・43歳)も親子二代の駒師であります。

 幹太郎は、父親の手ほどきで、大学に通いながら駒作りをしていました。昭和22年に父が急死、たちまち、経済的に追い込まれて、家族の生計を立てるため、大学を中退し本格的に駒作りに取り組まれました。
当初は、豊島・龍山が得意としていた「金龍書」の彫駒を制作して販売されたのですが、専門棋士達に技術が未熟と言われ、注文が無かったそうです。

 以後、更なる努力を積み重ねて、技術の向上をめざし日夜、研究熱心と情熱のもとで、やっと宮松駒を完成させました。

 完成した宮松駒の特徴は、まず、①、実戦用として手触りの良さを引き出すために、駒型を大型にしたうえ、面取りは奥野式を採用いたこと。さらた。②、創作駒文字に個性を生かすために、漆を厚く (書体よりはみ出して太目に勢いつけた)、かつ、高く盛上げて、書体の迫力を引き出したこと。

 その結果、たちまち、専門棋士や駒愛好家たちから人気を得て注文が殺到致しました。以後、宮松影水作の駒は、マニアにとって睡涎の的となっています。。

 なお、昭和30年代は注文が殺到しため、宮松作品には、天童の駒師・香月と駒師・静山の合作もかなり含まれているようです。したがって、私は、宮松駒を多数蒐集して研究分析等致しましたところ、作品には、良い悪いしのバラつきがあることに気付ました。

 余談になりますが、駒マニアは、駒師・宮松を「駒作りの名人」とか「人間国宝」だと呼んでいますが、この言葉は、芸術家や彫刻家等に付けるものです。試行錯誤されているように思います。
何故ならば、駒作りは、複写による彫刻の世界、誰もが独学で出来る簡単な作業です。一年程度あれば一人前に彫駒ができます。盛上駒は、漆で文字を書くのに約1年~2年かかります。私も盛上駒は作れましたが、ただし、「直彫」や「書き駒」作りは大変難しくて、途中放棄いてしまった。

 宮松本人も駒作りは上手くないと言われていて、当初の作品を見る限り素人の私が見ても下手ですね。したがって、天才の素質はなかったと感じています。

 また、死の直前に「本物の駒は、とうとう作れなかった」と言葉を残しています。この言葉の意味は、今まで作ってきた駒は、すべて模写した書体のうえを彫って、漆で書いた駒作りだった。「本物の駒」とは、古くは、公卿の能筆家や書家によって、駒文字を漆または、墨を使って自筆で書いた「書き駒」だった思っています。

 究極は、駒の原点・駒の芸術品としての自筆の「書き駒」完成を夢に描いていたと推測しています。



 

将棋

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年 8月 5日(水)08時29分25秒
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  6、戦後の東京の駒師(大竹治五郎と宮松幹太郎)

1、大竹治五郎(号・竹風作・一虎作)

 大竹治五郎は、東京・神田生まれ(大正3年~平成18年没・93歳)東京製駒作りとして活躍いた、親子二代の駒師であります。

 自家は東京の空襲で焼かれため、父親の故郷、新潟県・三条市の戻り「大竹碁盤店」を構えられました。

 父親は櫛職人で、黄楊材を「奥野一香商店」に収めていました。治五郎は、幼い頃から父親の仕事を手伝った関係で、駒木地を奥野家へ届けけるうちに、奥野工房の駒作りを見て、いつの間にか見よう見真似で覚えたそうです。もともと、手先が器用だったので、奥野の弟子達が駒作り教えにより、ますます技を磨きやがて東京の五大駒師として活躍されました。

 大竹治五郎は、奥野の弟子ではないが、奥野系の駒師です。

 昭和20年代の大阪・住吉で行われた、名人戦に、錦旗書・盛上駒が使用されました。

 初代・竹風作の作品の特徴は、駒型はやや薄手、漆の盛上が美しく気品があって、専門棋士たちには実戦用に最適だと言われています。良心的な価額設定は定評があります。

ちなみに、竹風駒に魅力があって、先代には長年の親交二より、昭和30年から50年代にかけて、特別に20組ほどの名駒を作って頂きました。温厚で、義理人情な人柄は今でもはっきり覚えています。



 

(無題)

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年 7月31日(金)19時01分9秒
返信・引用
  2、金井秋男(号・静山作)

 金井秋男は、(明治37年~平成3年没85歳)東京の芝大門の質屋に生まれ豊島龍山の進めで弟子入りされました。

 昭和15年に、豊島龍山親子が相次ぎに亡くなってから、約10年間にわたり豊島龍山銘で盛上駒を作られました。駒マニアは、この駒を「静山・龍山」作と呼んでいます。

 以後、龍山の書体を受け継いだ静山は、駒師の命とも言われている書体を忠実に、駒作りに反映して一躍人気になりました。

 また、宮松影水の駒作りの指導と駒作りに協力していました。
さらに、宮松影水亡き後、未亡人(号・美水作)に頼まれ駒作りを手伝われたようです。

 静山作の駒の特徴は、すべての駒において、漆の盛り上がりが素朴で柔らかな感じの美しさです。
 ある駒マニアは、静山作を宝石にもみえる銘駒とか、味のある仕上げが出来る駒師はいない等、評価は高いようです。

 私の評価は、幾多の静山龍山~静山作品を見て、盛上の筆法は繊細で美しさを感じますが、個性的な表現力ある作品が無いのが残念です。全体的に書体の漆の厚さと盛上の高さなく迫力に欠けています。

 余談ですが、私と金井氏との初対面は、昭和50年代、知人から譲り受けた、天皇家献上用に制作された「豊島造」の盛上駒を鑑定依頼した時です。二回目は、平成になった頃、金井氏が、もう一度、「豊島造」拝見したと要望があっお会い致しました。

 平成期に入ってからも、高齢にかかわらず懸命に駒作りされていた姿は、職人として尊敬しています。
「静山龍山」作の駒を写真で紹介致しました。「龍山作」と「静山龍山作」を見極めるのは難しいです。どの写真が静山作でしょうか。正解を探して下さい。

 以上が、豊島龍山の弟子・木村文俊と金井秋男についての所感でした。この件で、皆さんのご意見をお聞かせください。よろしくお願い致します。それから次の項目に入ります。
 

将棋駒の本質と実態について

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年 7月29日(水)09時45分14秒
返信・引用
  5、豊島龍山の弟子たち(戦前)

1、木村文俊(号・木村作)

 木村文俊は、東京生まれ(明治41年~昭和59年79歳没)、関根金次郎と木村名人の実弟、兄の進めで大正12年の頃、豊島龍山に弟子入りする。21歳の昭和4年の頃に独立。戦前の職人、強い個性を発揮して素晴らしい作品を残しています。特に昭和10年~20年までの作品は、豊島・奥野の作品と比較して、「勝るとも劣らない」昭和の名工の一人に数えられます。

 木村作の駒の特徴は、戦前の作品は、木地にカンナ使って駒型に整形しているので、駒木地面に光沢がでて非常に魅力感があります。女性の肌に例えれば「素肌の美人」でしょうか。
 また、駒の書体は、個性的な創作を発揮、さらに漆が厚く高く盛り上がった勢いを感じる最高の作品は、一世を風靡するほど人気を得ました。

 ちなみに、私、昭和40年代に木村宅を訪問致しました。
 当時は、奥さまを看病しながら、懸命に駒作りに励まれていました。私の前で、駒作りの見本を見せながら、突然「俺の手のひら触ってご覧」と手を出した。手のひら触って私はびっくり、何と一枚の鉄板になっていました。駒作りの本職として永年の経験と実籍を証明する手でと感動致しました。
 しかし、全盛期は戦前迄、戦後~晩年期は技術衰え名品は殆どありません。

 なお、木村作品は、盛上駒の漆が飛びやすいと、駒マニアの評価はイメージダウンになっています。その原因は、戦後~晩年期の作品しか見ていないからです。
 駒マニアの方は、全盛期は戦前迄の作品を観察することを希望致します。

近代駒師のランク順位

1、豊島・龍山 2、奥野一香 3、木村文俊この3名は駒作りの名工です。

 木村作品の戦前の名品を写真で紹介致しました。なお、木村名人書は、一枚一枚丹念にカンナ仕上げ、大型で薄手造りの技巧をこらした最高傑作であります。一組しか制作されていません。なお、20年以降の木村名人書の駒は一般に制作されている書体とは全体的に違っています。

 

将棋駒の本質と実態について

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年 7月17日(金)08時21分23秒
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  3、大正~昭和初期

近代将棋駒の祖とされる専門棋士・豊島龍山と奥野一香が、本格的に駒作りを始めました。
なかでも、豊島太郎吉は、駒作りの生命である「駒の書体」を、版木板に置き換え、字母紙を用いて駒作りを試みました。

その結果、製作手間の短縮に成功し、駒の量産を実現させた功績は大きいです。
更に、従来、駒木地は板目か柾目だったが、美観を強調させる虎模様とか、杢模様を採用して魅力的な駒を作られました。

豊島龍山には、初代・龍山豊島太郎吉(1862~1940年)と2代龍山・豊島数次郎(1904~1940年)の親子二人です。主に、昭和初期の作品です。太字の躍動感に溢れた逸品が残っています。

また、奥野にも、初代・奥野一香。慶応二年(1866)生れ。駒師・奥野藤五郎。大正10年(1931)没。二代・息子・幸次郎(1899~1939年)の親子二人です。

初代、奥野一香は。明治32年(1899)生れ。駒師。本名・奥野幸次郎。二代目は奥野藤五郎の次男で、ちちの跡目を継いで駒師となり、名人駒師と称された。昭和14年(1930)没。
奥野一香作の駒の特徴は、何と言っても独特の面取りした駒型とが功を凝らした彫です。勇壮な盛上の仕上げ等、すべての駒に個性が滲み出ています。


参考・「駒に関して一言」

ある人は駒を「駒には知の顔がある「絶対美感」を原点~。また、写実主義の巨匠レンブラントを龍山、そしてそれに続く奥野とすれば、前期印象派として影水や木村、静山や初代竹風を通過して、現在の駒世界は後期印象派が鬩ぎ合っている状況だろう~。と画家と駒師を比較して評価されています。非常に上手く表現されていました。

しかし、私の想いは、画家と駒師とは別世界であって、比較評価は無理があると思っています。
一般的に画家を志願する人は、有名な画家に学びながら美術学校を卒業し、以後、趣味として絵画を描き続け、晩年に円熟した傑作品を完成させ認められる世界です。画家は芸術家、自分の発想・個性・思想・感性をこめて描くからです。

それに比べ駒師とは、駒文字は、自筆でなく複写した字拇紙の上を、彫る、なぜて書く、作者の個性や思想の知恵も必要ない、誰でも駒作りができる単純な作業です。独学世界で3~5年経験すれば一人前になれます。余談になりますが、私は、昭和40年代に、駒作り始め、彫駒は約3年程度で盛上駒に3~4年で一人前に駒制作が出来ました。

位置付としては、江戸期の作品は美術品で、それ以外の駒は工芸品。絵は美術品です。

もう一つ気になるのが、駒師を天才・巨匠とか過大評価し過ぎていることです。なお、(日本将棋連盟は天童の駒師・国井重夫氏にただ一人「名匠」の称号を贈られました)

天才・巨匠は、芸術家につける言葉ではないでしょうか。

強いて画家と駒師と比較すれば、画家は建築家(設計者)、駒師は大工でしょうか。

いづれにしても、駒師を天才・巨匠とか過大評価しすぎているため、その反動が、駒の価額に影響して高価になっているのが現状ではないでしようか。この問題については詳しく別項目で述べたいと思います。

 

(無題)

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年 7月16日(木)11時28分39秒
返信・引用
  2、幕末~明治期、

江戸期に幕府の庇護のもとで、家元制が確立され、将棋は、大橋本家を初はじめとする三家が家元を名乗り、その地位を世襲していたが、徳川幕府の崩壊によって、家元制度がなくなり、明治維新とともに禄を失い有名無実となってしまった。

そのため、たちまち生活が苦しくなり、苦肉の策として家元だった将棋所・大橋宗桂と宗金が自ら駒作りを始めました。

他に、専門棋士・牛屋春甫・竹内棋州や豊島太郎吉・奥野一香達も駒作りを始めました。なお、真龍・金龍の駒作り職人がいました。

明治維新から大正棋かけ、「書き駒」から「彫駒」や「盛上駒」が制作されるようになりました。

ちなみに、現在、真龍・金龍や大橋宗桂・牛屋春甫・竹内棋州・豊島太郎吉の作品が現存しています。

 

将棋駒の本質と実態について

 投稿者:ケンショウ  投稿日:2015年 7月16日(木)11時15分9秒
返信・引用
  将棋駒の本質と実態について

1、古くは、公卿や僧侶や戦国武将たちの遊びごとで、その道具の駒は、公卿の能筆家や書家によって、駒文字を漆または、墨を使って自筆で書いた「書き駒」でありまいた。

 これらの駒は、美的な技術を備えた作品で、資料的価値高く貴重な作品であります。当時の駒こそが、駒の原点・駒の芸術品として、高く評価されています。

 ちなみに、主な作者は、水無瀬兼成・水無瀬兼俊。源兵衛 清安・清安・俊光・義勝・清龍・等で、幾つかの作品が残っています。
 

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